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私とプリズンブルーとの関わり
永年のサラリーマン生活を卒業し、1996年インターネットショップを立ち上げた私は、ネット人口が少ないことも有り苦戦していた。特長を持ったショップにするためには、市中に無いアイテムを探すことが必要だった。
翌年から、メキシコ・アメリカ西海岸の各地を転々とその土地にしかない物を探し歩いた。知人の紹介でサンフランシスコ市警の日系2世警部、シアトルの有名レストラン経営者、日本への貿易が成功し超高級地区にお城のような家を建てた人物、ハリウッドのトップクラス俳優のヘアメイクを担当するカリスマ美容師、貿易を勉強している留学生、メキシコで数件の居酒屋を開いていた先輩、そんな成功した日本人などと、出会い多くの情報を得た。雲の上のような人達であったが、裸同然の私を受け入れてくれ、応援を約束してくれた。
そんな パートナーシップを持って、一緒に夢を見れる相手と出会う。
帰国後、しばらくたって連絡があり、プリズンブルーの話を聞いた。その製造背景に感動した私は、早速、百数十本のジーンズを送ってもらった。彼はスノボーやサーフボードを製造している米国の企業でセールスを担当していたが、プリズンブルーもその企業で扱おうとしていた。どうも米国国内では販売できないらしい、日本では問題ないと言われた。
早速、ネットで紹介するとともに、ジーンズショップや、デパート、アパレル企業、通
販会社、マスコミなどをサンプルを持って歩いた。しかし数十本のサンプルが消えただけで、企業は商売的に面
白みがないためか、相手にしてくれる会社は、中々無かった。こちらの足下を見て、在庫は持たない、値段は安くしろが異口同音であった。
追加で発注したものも含め、自宅の1部屋が数百本の在庫で埋まってしまった。
足下を見て、商売を組み立てる。商品に責任を持たない。
売れないのは自分のせいではない。まったくもって無責任。
これからはこんな販売店は、相手にしない事を誓う。
その後、コツコツと地道に、このページで紹介している。
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